プロフィール

2019年3月26日

最高な仲間と最高な人生を!

フリーランスエンジニアの辻野晃一です。

「愛と平和の意志を心に持った有能な100人の仲間とともに、本質的な価値を世に届けていく」というビジョンを掲げています。
まさにLove&Peaceです。

少し長くなりますが、なぜそんな考え方になったのか、紹介していきます。

「お前、荷物まとめて。明日からくるな!」

自分の人生の大きな転換になった言葉だ。

当時、28歳だった私は、故郷の山口を離れ、上京してゲームプログラマとして仕事をしていた。
理由は単純で、「ゲームを作ること」が物心ついた時からの夢だった。
なんとか夢を叶えて、自分の好きでやりたい仕事に本気で取り組んでいた。
主に研究開発や海外開発拠点への教育などの事業に携わり、直接タイトルに関わることは少なかったが、
元々、人を応援するのが好きなタイプだったため、とても充実した仕事内容だった。

一方で、仕事環境や上司との関わりの中で大きなストレスを抱えていた。
ご存知の方もいるかと思うが、ゲーム開発現場の多くは驚くほどブラックだ。(もちろん会社による)
残業100時間越えは当たり前。もちろん全てサービス残業。好きでないとできない仕事だ。
いまでこそ、これはブラック企業だと断言できるが、当時の自分は新卒で入社した会社だっただけに、

「どうせ、他の会社に行っても同じ。」

と思い込んでいた。
また、当時、ありがたいことに役職を頂いていたため、仕事環境を改善し、みんなが満足に幸せに仕事ができる環境を作れるように尽力していた。
ただ、いかにして改善するかを考える時間はあっても、目の前の仕事をこなすだけで終電近くになってしまう状況だったため、やりたい仕事だったとしてもできないことも多く、「このままで本当にいいのか?」と思うようになっていった。

また、プライベートの時間もほとんどなく、友人に遊びや飲みに誘われても、平日の夜は終電まで残業。
土日もほぼどちらかは出勤しているので、日帰り旅行程度しかできない、という状況だった。
よくある話だが、ゲームが好きでゲームの仕事についたが、ゲームをする時間もほとんどなくなっていた。
休みの日には外出せずに、ずっと自宅のパソコンの前に張り付いてゲームをすることがほとんどだった。

親友との共同生活

当時、川崎のアパートに住んでいた私は、都内まで毎日片道1時間弱の通勤時間が必要だった。
会社ももともとは渋谷だったが、社屋の拡張などで広尾の方に引越しをしており、さらに通勤時間が長くなっていた。
そのため、引越しを計画中だった。

その頃、仕事に対するフラストレーションがたまりきっていたのか、平日の深夜を越えても、よく友人と遊びに行くようになっていた。
ただし、その時間に付き合ってくれる友人もそうそういない。
主に遊んでいたのが、中学時代からの友人のヒロである。

ヒロは20歳から格闘家を目指し、東京に上京し、上京後間もなく自営業を営んでいた。
そのため、時間の使い方がとても自由で、仕事の話をしているときも面白かった。
また、ヒロとは中学高校と同じだったため、昔から非常にお世話になっており、私が都内での就職活動時に家に泊めてもらったり、上京時の部屋を探しに不動産を回ってくれたのも彼だった。
上京してからも、何かと飲み会や旅行などにも誘ってもらっていたため、彼自身の人柄も非常に好きだった。

ヒロは当時、三軒茶屋のマンションに住んでおり、バイクを持っていたことから、渋谷で深夜3時頃まで遊び、
その後、彼の家に泊まり、そこから出勤する、という生活を週3くらいで送っていた。
そんな生活を数ヶ月ほど送っていると、彼から1つの提案があった。

「アメリカのホームパーティーみたいなことをしたいから、庭付きの一軒家に一緒に住まないか?」

当時、私自身も通勤時間を減らしたかったため引越しを考えていたため、彼の提案に2つ返事でOKした。
こうして、中学生時代からの親友のヒロとの共同生活が始まった。

多くの価値観との出会い

渋谷区の一軒家をヒロと借り、シェアハウスとして共同生活がスタートした。
スタートメンバーは3人で私とヒロと共通の友人女性のみーちゃんだった。
共同生活といっても、基本自宅は寝るか、休みの日にゲームをするくらいだったため、私の中では普段とあまり変わらなかった。
変わったことがあるとすると、もともとのコンセプト通り、シェアハウスでは様々なイベントが企画され、
家にいるだけで自然と多くの人と関わりを持つことができた。
仕事のつながりか、地元のつながりしかなかった私にとっては、この関わりはかなり新鮮であり、多くの価値観と触れ合えるきっかけとなった。

そんな生活の中で、私がかなり一般人よりズレていることがわかった。
例を挙げると、同居人のみーちゃんは大手の保険会社に務める事務。
仕事は9:00-17:00で定時退社。私が帰ってくる深夜にはすでに寝ているという生活。
私と合う時間が休みしかないのです。
同居してるのに、「なんかみーちゃんの顔見てないな?」と自然と気づくわけです。

多くの人と話していく中で、個人的に衝撃的だったのが、この2つ。

  • 残業代は普通出る
  • 残業はするとしても、忙しい時に数時間程度

これを聞いた時に、確かに私は仕事も好きだけど、プライベートで自分の好きなことをする予算と時間がもっと欲しいと思うようになった。

そんな中で一番、こうなりたい、と思えるライフスタイルがヒロだった。
そんなヒロのHPはこちら。
http://matsumurahirokatsu.com/

自由に仕事の時間を決め、遊ぶ時間も決めれる。
全てにおいて自分に決定権を持っている、私もそんなライフスタイルを得たいと考えるようになっていた。

一緒に仕事をしたい

そんなある日、ヒロから、「新しいビジネスを始めるんだけど、その話を聞いてみないか?」と誘われる。
当時、仕事内容自体には満足していた私は、う~ん。と思いつつも、話を聞いてみることにした。

話を聞いた結果、私はヒロに一言告げた。

「これならおれにもできる。お前と一緒に仕事がしたかったんだよ。

快諾した。
理由は、ヒロとの共同生活や普段の遊びから通じて、もしヒロと一緒に仕事ができたらとてもおもしろいかもしれないと思っていたからだ。

こうして、サイドビジネスとして、ヒロと一緒に仕事を始めることになった。

運命の選択

そんな状況の中で数ヶ月たったときに、直属の上長である社長に呼び出された。
理由は何かと言うと、共同生活を辞めろ、ということだった。
話を聞いてみると、ヒロに家賃を中抜きされているのではないか?ということだった。
その場では、そんなことは無い、と話したが、検討しておきなさい、ということだった。

そして、その直後、今度は任せていた仕事が遅い、ということで呼び出される。
そこで社長にこっぴどく叱られるも、そのあとに

「土下座しろ!」

という言葉を浴びせられる。
さすがにそれは自分のプライドが許さず無理だったため、そう伝えたところ、何度も土下座を強要された。

それを拒み続けていると、ヒロのホームページを出せ!と言われる。
どうやら、ヒロを調べて、私が騙されてないかなど調べたいようだ。

ただ、ここでホームページを出してしまうと、友だちを売ってしまうことになると思い、それを拒否した。
そして、社長に、ヒロと一緒にビジネスをやっていることを告げる。
黙っていても、勝手に調べ、わかると思ったからだ。社長はそれくらいやる人だ。

そこで、いわゆるよくある選択を強いられる。

「会社を取るのか。ビジネスを取るのか。どっちなんだ!」

私の会社にも社則で副業禁止規定があったため、それが引っかかっているようだ。
この時、私は即座にこう答えた。

「ビジネスを取ります。」

すでに心が離れていた会社よりも、親友との時間やビジネスの方が大事だったからだ。
これに対して、社長から。

「お前、荷物まとめて。明日から来るな!

突然の解雇通告だった。
今までも突然解雇通告を言い渡された従業員を何人も見てきたが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。

通告を告げた社長自身も、かなり私自身に思い入れがあったようで、泣きながらチームに今回のことを話していたと、後ほどチームのメンバーに聞いた。
私自身も育てていただいた恩や、会社に対する思いがあったため、放心状態になりながら帰路についた。

帰路の途中、たまたまヒロの友人で、とてもお世話になっていた経営者のトビさんと自宅前で出会う。
どうやらジョギングをしていたところに、たまたま早く帰ってきた私と鉢合わせたようだ。
いつも遅くまで働いていることを知っていたトビさんは、すぐに私の状況を聞いてくれた。
そうしてかけてくれた言葉が今でも私の深いところでずっしりと残っている。

「こいっちゃん。自分の選択を正解にすればいいよ。

フリーランスへ転身

その後、自分の人生の方向性を考えた。
転職も考えたが、懲戒解雇の烙印が押されているし、
やはりライフスタイルを考えたときに、会社に雇われる生き方よりも、
自分のビジネスを持ち、自由に生きるというライフスタイルを選択したかった。

そんな中、さらに自分のフリーランスエンジニアになってみようと思うきっかけになったサイトがこちら。
http://www.se-free.com/

派遣会社に登録した1年目にフリーランスに転向したという内容をみて、それなら自分にもできるかもと思い挑戦してみた。
ヒロつながりで周りに経営者の友人が多くいたため、相談がしやすいのも後押しする理由になった。

結果として、様々な不安要素の全てが杞憂に終わり、仕事時間は通常の8時間勤務程度になり、その上で収入は約2.5倍になった。

人生のミッション

私の人生はいろいろな人に助けられて成り立ってきたと思う。

生まれてから独り立ちするまでは親に助けられ、

独り立ちしてからは夢だったゲーム制作会社に拾ってもらい育てられ、

人生に迷ってからは親友に人生とはなんたるかを気づかせてもらい、

様々な人に助けてもらった人生だと思う。

上では社長の辛辣な面を取り上げているが、私がここまで実力を持てたのは彼の厳しい姿勢の賜であるのは間違いない。
すでに過去は終わっているため、いまでは本当に感謝している。

そうやって受けてきた愛は、直接もらった人に返すのではなく、まずは自分の周りの人、
そして私と同じように、人生に迷っている、なかなかうまくいかない、どうしてこうも報われないのか、
そう思っている人たちにどんどん与えていきたいと思っている。
そのように思っているということは、少なからず、人生を本気で生きたり、考えているからこそ出てくる思いだと思う。
私も同じように思い、そして助けられたからこそ、私がみなさんの人生のお手伝いをできることもあるのではないかと考えている。

私が少しでも関わった人たちが自立して豊かになっていき、
その人達がまた周りの人や悩んでいる人を豊かにしていく。
そうやって豊かになっていった最高の仲間に囲まれて、最高の人生を送りたいと思っている。
これが私のビジョンであり、ミッションであると思っている。

私のストーリーやビジョンに共感する人のために、
少しでも役に立つ情報をこのブログで発信していきたいと思う。

 

Posted by 辻野晃一