環境と可能性

こんにちは!晃一です!

本日、山口県の実家から新米と柿が届きました!
毎年、実家で米を作ってくれているため、この時期に1年分のお米が届きます。
本当に感謝感激な環境です!

たぶんウチの庭になっている柿ですね。
みんなで食べてうまかったです!

今日は家族、特に私の母に向けて、そんな感謝の気持ちを表した内容です。
(ただの自己満足です)

自己評価のとても低い彼にお会いした話

本日友人が、私に話をして欲しい人がいる、ということで、自宅に招待して会ってました。
そのときに、上記の柿を出したのはいわずもがななのですが、話を聞いてみてなるほど。

詳細は伏せますが、27歳で今年田舎から上京してきて、アニメーターになりたかったが全滅。
仕方なく、家賃3万の家で皿洗いのバイトをしながら日々を食いつないでいるという彼。
将来は億万長者になりたい。

いろいろとツッコミどころ&修正したいところがあったので、ひとつひとつ問題解決の提案をしていく。
大事なのは、答え自体を与えるのではなくて、答えの解法を教え自分で答えを出してもらうこと。
いつも通り、人生のカルテを終え、未来に希望を見出してもらえたようで。
自宅に帰ったときの現実と今日の話のギャップの大きさで燃え尽きてしまわないかだけが心配です。

と、まぁそんなコンサルティング的なこともやっているわけですが、今回「うーん」と思ったのが彼の次の言葉。

貧乏な人たちに囲まれて生きてきたので貧乏なんです

ある意味真理をついているんだけど、よろしくない。
何がよろしくないかというと、自分のキャリアや人生について自己否定しすぎている。
そして、アウトサイドインな考え方。

本人としては実家も「ただの工場の社員で貧乏なんです」とのこと。
ただし、実家は持ち家。
ここは完全に私の主観になるが、どう見ても持ち家な時点で貧乏ではない。
否、貧乏な持ち家世帯もあるだろうが、そこまで否定するものだろうか?

とにかく、この発言に色々と考えさせられた。

何不自由なく暮らしてきた私

結論から言うと、私のメンターが仰っている、
「貧乏なのは悪いことではない。貧乏を続けるのはダサいが、成功した時はそのストーリーが感動的になる!」
ということを教えてあげました。

かくいう私はと言うと、実は大体の成功者にあるような原体験的な思い出が、全くと言っていいほど無く、何不自由なく成長してきました。
あるとすれば、プロフィールにも書いてある通り、会社をクビになった程度。
実は自分の中では、そんな原体験のない自分がコンプレックスになっていた時期もあります。
本当に原体験のないまま成功できるのだろうか?
そんな思いが常にありました。

しかし、過去は生ゴミ。
これまでのことより、これからのことです。
そう考え、自分自身を承認することにより、このコンプレックスからは抜け出せました。

自己評価が低い方は、ストイックだったり向上心が高い反面、ダメな部分に目が行きがちです。
そこに目を向けるよりも、プラスの部分にもっと目を向けるべきだと思います。

自分自身がマイナスだからダメなのではなく、マイナスな面を含めて自分自身だと認めてあげることが非常に重要な事だと感じます。

「やればできるんだから。」

これは私の母が幼少期に私によく投げかけてくれた言葉です。
(主にゲームをしすぎて間に合いそうにない宿題や課題、テスト勉強を徹夜でやっていたときに)

思い返すと、この言葉はあらゆる場面で頭に浮かんできている言葉だったりします。
この言葉があるために、諦めそうな局面でも諦めないで粘り強く努力する性格になったのだと思います。

人間は環境によって作られていきます。
その環境が劣悪であるほど、マイナス面に目が行き、自分を認められなくなります。(フォースのダークサイドみたいですね)
逆に良い環境では、自分の可能性を信じれるようになり、良い結果がでてきます。

私は過去の私も含め、今の私が大好きになりました。
その背景にもこの言葉があるように思えます。

より一人一人が自分を認められる社会へ

貧困家庭の子供がさらに貧困に陥ると言う流れ、これは最近ニュースにもなっていますね。
低所得の親の子、低学力&非正規社員になる傾向強まる…経済力が教育格差に直結

このようなマイナスのスパイラルを止めるためにも、一人一人が自分自身を認め、他人をも認めてあげられる社会にしていくことが、本日の彼との出会いで私のミッションに加わりました。

自分自身を好きになってもらえる環境。可能性を信じてくれる仲間。
そんなコミュニティを作って行きたいと思います。

自分自身にできることはまだまだ小さなことかもしれませんが、母の言葉を胸に、少しでも誰かのお役に立てるように精進していきます。

「やればできるんだから。」